人間学の同人誌『Becoming』

生成の人間学の探求 『Becoming』年2回(春/秋)発行 同人代表:作田啓一 制作:BC出版

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追想

私は今、92歳半くらい。あと2年ほどで父が亡くなった年になる。父に連れられて下鴨膳部町の家から下鴨神社の東側の道(泉川通)を通り、葵橋(高野川にかかる橋)まで散歩した。そこ(今は広場)に杵屋食堂というレストランがあった。私はチキンライスを取ってもらい、こんな旨いものはないと思った。近所には映画館があり、2階の座席で冬は火鉢に手をあぶりながら、3本立の時代劇を見た。嵐寛寿郎の長い顔が印象的であった。そのコースは当時父が勤めていた大学へ通う道筋であった。

真夏の夜の夢

いろいろな人に援けられて、思いもかけず長生きをしてしまった。何遍かの人生の中、山口の4連隊に所属していた初年兵の拙者は、松尾見習士官に引率され、近郊にある湯田温泉へ向けて行進していた。小肥りのこの見習士官は、当番の時はよく、この中原中也の故郷である温泉での入浴に我々を連れて行った。「万だの櫻か襟の色」ザックザック(靴の音)、「花は吉野の何とかで」ザックザック、「何とか何とか何とかで」ザックザック、「敵はいかに強くとも」ザックザック、「散兵戦の花と散れ」ザックザック。見習士官が音頭を取り、我々はそれに続けて合唱しながら行進していた。のどかな一日であった。時期ははっきり憶えていないが、日々の使役に派遣されていた拙者は、倉庫の整理に派遣され、重い荷物をよろめきながらかついでいると、鬼のような軍曹に怒鳴りつけられる日もあった。それらの日々に比べると、湯田温泉行きはあまり入浴が好きでない拙者にとっても、のどかな一時であった。そう言えば、豚の飼育で時々一緒になったあの同僚は、広島師団への転属を喜んでいたが、やがて原爆に見舞われたことだろう。その後、彼はどうなったのか、知る由もない。「万だの櫻か襟の色」ザックザック。

石破によれば、自衛隊が国防軍に変わったら、自衛隊では何年かの懲役にとどまった命令違反者は、国防軍では軍法会議で死刑を宣告される、と言う。拙者が4連隊にいた頃は、どうであったのか知らないが。

ともかく恐ろしいことだ。「万だの櫻か襟の色」ザックザック。

 

憲法「改正」問題、じつは改悪問題。

迫られているのは「殺すか殺さないか」の選択なのか、それとも「殺すか殺されるか」の選択なのか。よくは分からないが、この点に関しては、「改正」に反対する者よりも「改正」論者のほうが、後者の選択問題としてとらえているような気がする。しかし、「改正」論者とは逆に、拙者は「殺される」ほうを選びたい。孤独死を死そのものよりも恐れている拙者のような人間なので、あるいはそれにもかかわらず、拙者には「殺す」よりも「殺される」ほうが楽なように思われる。(激高老人)